BOOK review May. 2022

I couldn't read books as usual this month, but I realized "qualities of leaders"  from a couple of books of this month.

In my view, many leaders are appreciated. It means they're  needed, but to  be like that, they make grate effort.

For example, many women in "The Mad Women's Ball"  worked to get women's rights even some women made sacrifice herself  to reach the goal.  They were on the same page and showed each leaderships for each others.

In addition, ”The President's Hat” showed me it's important to keep in mind to respect myself and anything goes as a reason.

 

(今月はあまり読んでない泣)

 

毎回そうだけど、今月の本の

テーマは決めてなくても月末になると

自然と一体感が出ている。

今回は"リーダーの素質"という感じ。

人より一歩前に出るリーダーには

「愛されている」という共通項があって

別の言い方をすれば単純だけど

「必要とされる」ということだと思った。

そのためにそれぞれ元々持っていたものを

自分なりに活かしたうえで努力して

"素質"を得ていたように思えた。

自分と同性だからか女性の登場人物に

共感しがちではあるかも。

 

📕私にふさわしいホテル

 

女性作家が文壇のトップに駆け上がるべく

戦っていくストーリーの中で、

作家と担当編集者の特殊な関係性を知った。

ビジネスが絡んでくるものの

対等なビジネスパートナーではなく、

作家が先生と呼ばれて上に立っているかと

思いきや、ゲラをダメ出しする編集者に

作家が教えを請うているといった具合。

 

作家は良い作品と売れる作品の狭間で

孤独の中戦うという。そこを戦友のように

共に生き抜く存在が編集者で、最終的には

1番のファンなのではないかと思った。

 

作品では新人作家の主人公と

文壇のドンファンがバトルを繰り返す。

しかし互いが互いを潰しあっているようで

高め合っているところが面白かった。

 

📘女教師たちの世界一周

 

イギリスではミドルクラスの女性ゆえの

苦労として"働く女性はワーキングクラス"

というイメージがあったため

"働くことははしたない"とされており、

アッパークラスのように生活資金が

潤沢にあるわけでもなく、

働く必要があったのにも関わらず

働きに出られない困難があったと知った。

ダウントンアビーではそれこそ

アッパークラスゆえ、ミドルクラスほど

資金繰りに困ってはいなかったが、

車を運転したり記者として働いた次女の

イーディスが「女の子なのに、はしたない」

と家族から責められたことを思い出した。

 

イギリスを例に出したが

女性が働くことをはしたないと思う感覚は

日本含め多くの国で共有されてきている。

レディは働く必要がないからレディなのだ

という言葉があったというけれど、今も

「レディ」にはそのイメージが

拭いきれていない気がする。「レディ」とは

「芯のある自立した女性」であると

私は考えている。意識を変えたいと思う。

 

一方、日本の学業面の女性の歴史では

女子は家庭科で男子は図画工作と学校側に

勝手に決められ指導された時代があったと

聞いたことがあったが、女子のみが家庭科を

追加の必修科目として取らねばなかったと

初めて聞いた。これは実際に

教師として働いていた著者の実体験に基づく

報告であるけれど、男子が放課後を過ごす間

女子のみが座学を受けているという状況が

生まれていたという。これではどう考えても

女子の負担が大きい筈であるし、これによる

女子の高等教育への進みにくさは最終的に

仕事の得やすさに関わってくる。

ここまでして女子の学歴を下げるために

躍起になる様を見せられると、

女子の社会進出になぜそんなに

畏怖を抱いていたのかと

頭を捻らずにはいられなかった。

 

人間社会において生きるために資金が必要で

そのためには働かねばならず

その労働力となるためには能力が必要で

その能力は学びから得られる、という

プロセスがあると思う。

つまり学ばねば社会では生きていけず、

何かに依存せねばならないと考えられる。

依存して生きていくことは精神的に

「楽」という見方もあるかもしれない。

でも自我を持って生きることを奪われたり

否定されているとと同じと私は思う。

 

「依存すること」を否定したかのようだけど

依存することは悪いことではないと思う。

つまり、社会は互いが互いに依存して

成り立つけれど相手に依存させることを

強要した場合平等な均衡は崩れると思う。

その意味では今までに構成されてきた

"男性基準の"社会ルールを全て女性が

受け入れる必要はないと考えられる。

新しく"男女水準"を作る必要があると思う。

勿論、身体的に男性にしかまたは女性にしか

できないことは必ずある。だから

その場合に男女混合の"チーム"として

問題を"解決"することが最終目標であると

再確認し、チームメンバーの中で

責任のなすりつけをする前に

そもそもチームで解決できないことに

危機感を持つべきだと思う。

 

📗 ミッテランの帽子

 

帽子を被ると自信が出る、という。

 

フランスの大統領、ミッテランが

その座を追われた2年間の間に

紛失した帽子は3人の男女の手に

渡り、幸運をもたらした。

 

2番目に帽子を手にしたファニーは

その足で別れようと思いつつ、

だらだらと付き合っていた不倫相手と

潔く別れた。しかもその経験を

書き留め、本にして作家となった。

その様は帽子に操られているようにも

見えたが、同時にファニー自身の

行動力の結果でもあった。しかし帽子が

きっかけとなったのは間違いなく、

自分を後押ししてくれる帽子に私も

出会ってみたいと思った。

 

この本の中の帽子に出会った人たちは皆、

ハリーポッターの組み分け帽子のように

帽子から選ばれたように見えた。

だから帽子を持つということは

君主である帽子に縁あって

選ばれたいうことなのかもしれない。

 

訳者あとがき、を読むのをお忘れなきよう。

 

📘 狂女たちの舞踏会

 

パリにあった女性の精神病棟、

と言っても入院患者の中には本当の

病人ではない人もいた。なぜなら

男性社会にとって都合が悪いために

「狂人」として入れられたからだった。

精神病棟とされる前には、女性専用の

刑務所だったというから「異端」とされ

隔離れた点で罪人ではないのに

同じ扱いとされていたようだった。

 

病棟に一度入ると、大抵の女性たちは

一生塀の外には出られないらしい。

しかも医学の発展を理由として

患者たちの扱いは真っ当ではなかった。

正常な女性たちを病院に押し込めた

塀の外の人たちの方がよっぽど、

狂人なのではないかと思わせられた。

 

だからある時、入院させられた

ウジェニーが正常だと気がついた

病院の看護師であるジュヌヴィエーヴが

長年勤め上げた病院の異常さに気がつき

果敢に行動し、身を挺してウジェニーを

脱出させるシーンでは応援したくなった。

 

ウジェニーはルルドのマリアを思わせる

能力を持っていて、その能力を使い

多くの人々を救い得る存在だった。

しかしジュヌヴィエーヴが彼女を

病院から救い出さねば、その能力を

人のために使うことはできなかった。

そう考えると、後世まで残る

偉業を成した人たちの影では

例え歴史に残らずとも、果敢に

行動した人が沢山いたのだと気がついた。